日本シリーズ第3戦、中継のゲストとして解説を行った松坂投手が牧原選手のことを「センスの塊のような選手」と評しました。
育成出身の牧原選手ですが、具体的にどのような経歴を持っているのでしょうか?
牧原選手の経歴
出生〜中学時代
牧原選手は1992年10月15日に福岡県で産まれました。中学時代には久留米ボーイズの一員としてホークスカップに出場し、準優勝と優秀選手賞を受賞しています。
幼少期から福岡やホークスと縁があったのですね。
高校時代
高校は熊本県にある城北高校に進学。
城北高校は牧原選手が1年生の時に甲子園に出場していますが、このときはベンチ入りメンバーからは漏れています。しかし1年生の秋からベンチ入り、2年の春からは二塁手や三塁手としてレギュラーの座を掴みました。
2年の秋季大会では打率.429を残しチームの準優勝に大きく貢献するなど、チームの中心選手に成長しました。
3年の夏、牧原選手はトップバッターとして活躍するも、チームは準々決勝で東海大第二高の前に敗退し、牧原選手の高校野球は幕を閉じました。
プロ入り後
牧原選手は2010年のドラフトで育成5位指名でソフトバンクに入団しました。
2012年6月に支配下選手登録を受け、一軍デビュー。この年は代走として5試合に出場しています。また、二軍では規定打席に到達。打率.277(リーグ3位)、12盗塁、6三塁打(リーグ1位)を記録するなど、メキメキと頭角を現しました。
2013年も主に二軍で経験を積み、打率.295(リーグ4位)、19盗塁(リーグ1位)、8三塁打(リーグ1位)を記録しました。
2014年には打率.374で二軍で首位打者を獲得し、一軍でも嬉しいプロ初安打を記録しています。なお、この年のオフに年俸1000万円に到達しました。
2015年は一軍で代走や守備固めとして43試合に出場しました。
2016年は41試合に出場し、打率.244を記録しましたが、翌2017年は右肩を痛め10試合の出場に終わりました。
2018年は一転飛躍の年になりました。足首の怪我による欠場期間があったものの、自己最多の59試合に出場。打率.317、3本塁打、26打点をマークしました。
そして2019年、牧原選手は114試合に試合出場し、打率.242、3本塁打、27打点、10盗塁を記録。日本シリーズでも安打を放つ活躍を見せました。
育成5位から9年かけてここまで上り詰めたんですね。今後もさらなる活躍を期待したいです。
野球以外の牧原選手
ここからは牧原選手のプライベートについて調べた内容を紹介します。
Twitterを年に数回投稿
牧原選手はTwitterをやっており、年に数回投稿やリツイートをしています。ちなみに最後に投稿されたツイートはコチラ。
このツイートはCSファイナルを勝ち抜いたあとに投稿したようですね。松田選手、今宮選手との写真をアップしていました。
なお、投稿の大半は銀魂関係の投稿となっており、自身のコスプレ写真も投稿するなど、銀魂愛を全面的に押し出したアカウントになっています。
子供がいる
牧原選手は2015年3月に結婚をしており、同12月に女児が誕生しました。2017年に離婚してしまったようですが、今後もお子さんに格好良いパパの姿を見せて欲しいものです。
まとめ
今回は日本シリーズで活躍し、知名度を上げた牧原選手について書いてみました。
二軍での成績を見ても身体能力が高いのは間違いなさそうです。
今後も育成の星として、千賀投手や石川投手、甲斐捕手らとともにソフトバンクホークスを引っ張っていって欲しいですね。
おしまい
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